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わが国の石油備蓄制度
1963年12月、産業構造審議会総合エネルギー部会は、前年のOECD(経済協力開発機構)の勧告(石油需要60日分の備蓄を保有すべきこと)を受けて石油備蓄の必要性を提言しました。
67年には、第三次中東動乱が勃発し、すでに一次エネルギーの65%を石油に依存していたわが国では危機意識が急速に高まり、72年度から実質的にわが国の石油備蓄制度がスタートすることになりました。
73年、第一次石油危機が発生し、日本も含めて世界的に大きな混乱を引き起こしました。このため、国内では74年10月に「90日民間石油備蓄増強計画」が発表され備蓄増強体制の確立が図られました。同年11月には、OECDの下部機関としてIEA(国際エネルギー機関)が設置されました。75年、石油備蓄法の公布により、国が石油備蓄目標を定め、石油精製、販売、輸入業者等に基準備蓄量以上の備蓄義務を課し、わが国の石油の供給が不足する場合において石油の安定的な供給を確保するために特に必要と認めるときには、期間を定めて基準備蓄量を減少すること等が法制化されました。その後、79年の第二次石油危機を経て、81年度初頭に90日備蓄体制(民間備蓄義務量90日分)が確立されました。
また、78年には、石油公団(現JOGMEC)による国家備蓄が開始され、98年2月には5,000万㎘の備蓄目標が達成されました。また、この間に国家備蓄基地が全国に10ヵ所建設されました。こうした国家備蓄の充実によって、89年度以降、民間備蓄は毎年度4日分ずつ軽減されることとなり、93年度からは70日備蓄体制(民間備蓄義務量70日分)となりました。2015年度からは国家備蓄の備蓄水準についても数量ベースから日数ベースへと考え方が改められ、産油国共同備蓄の2分の1と合計して純輸入量の90日分程度の量を確保することとされました。
2001年末に石油業法が廃止されたことに伴い、石油備蓄法は、石油備蓄義務の履行の確保と同時に、緊急時対応の基盤強化を図るため、①石油精製業・石油販売業等の届出制、石油輸入業の登録制の整備、②経済産業大臣による国家備蓄放出命令の整備、③生産予定数量の増加の勧告などについて改正され、名称も「石油の備蓄の確保等に関する法律」に改められました。
その後は、より機動的な石油備蓄制度の構築が必要との観点から国家製品備蓄が導入されることとなり、09年からは灯油の備蓄が始められました(東日本大震災後の12年の石油備蓄法の改正により、国家製品備蓄はガソリン、軽油、A重油を加えた4油種に増加)。
また、産油国が所有する原油を国内に貯蔵し、平常時には産油国が商業的に活用し、緊急時にはわが国が優先的な供給を受けられる政府と産油国の共同プロジェクト(産油国共同備蓄)が創設され、09年からアブダビ国営石油会社(ADNOC)、11年からサウジアラビア国営石油会社の原油の貯蔵が開始されました。